酒とイバラの日々

NYツアー急遽キャンセル

前回のブログで「来週はNYで得意先回り」と書いた私が何故か諏訪におります。理由は後述致します。

9月14日: しばらく前に諏訪市内の清酒メーカー五社が語らって「諏訪五蔵(すわごくら)」という団体を立ち上げました。国道20号線(旧甲州街道)沿いのごく狭いエリアに立地している5社の酒蔵が手を取り合えば、街の活性化にも日本酒の需要振興にももっと力を発揮できると考えてのことです。今後、地元の方々も、遠来のお客様も、私たち自身も楽しめるイベントを連発させる計画ですが、その第一弾として、霧が峰ゴミ拾いウオークを開催しました。五社の酒蔵はいずれも霧が峰を源とする仕込水で酒を造っているため、新酒の仕込みを始めるに当たって感謝の気持ちを行動に表そうという訳です。当日は各社の社長やその家族.従業員など約35名が早朝から草原に集合。NPO霧が峰基金の皆さんの引率により3コースに分かれて道路沿いのゴミを拾いました。ハイカーのマナーが向上したのか期待していたほどゴミは落ちておらず気抜けしましたが、晴天の高原を他蔵の社員さんたちとワイワイ言いながら歩き回り、最後は社長夫人達が大鍋で作ったトン汁とオニギリの昼食に大満足。本当にハッピーな半日でした。今年は初回なので内輪のイベントにしましたが、将来的には五蔵ファンのお客様も交えたイベントにしたいと思っています。   山から下り一風呂+昼寝の後上京。

9月15日.16日:東京にて様々な業者と商品造り系の打ち合わせの後、日本酒の輸出について議論する「海外戦略委員会」の委員を拝命したため酒造組合中央会で初会議。私はもとより浅学非才なのですが最善を尽くすつもりでいるのです。なぜなら多くの酒蔵が国際市場に目を向け保守的な業界に新風が吹き込むことで必ず国内市場が活性化されると考えるからです。

9月17日:午前中京王プラザホテルのラウンジで2社の資材業者さんと面談。13:00からは日本名門酒会という地酒専門の流通グループの展示会へ。多くの人気メーカーがブースを出展し、酒販店や料飲店の方々が全国から集まるこの展示会は当社にとっても重要なビジネスチャンスなので、東京営業所のスタッフ全員に大学4年になった長男坊をも加えて万全の体制で臨みました。幸い真澄ブースへは多くのお客様にお立ち寄り下さり私も立ちっぱなししゃべり通しで奮戦、充実感にみちた展示会でした。

ところがブースが空いた4時頃、トイレに入って直に事件は起きました。胃の下あたりにわずかに生じたシクシク感が急速に増幅して腸全体に拡大。アレレと思っている間にあまり経験のない七転八倒の痛みに変わったのです。じっとしていれば何とかなる筈とトイレの中で蹲っていても痛みは増すばかりで、その内どうした訳か大量の冷や汗が滴り、体温も下がって体中に震えが来ました。ここに到って自力回復を断念。長男と竹内東京営業所長の肩に担がれて、某総合病院へ緊急入院と相成りました。お恥ずかしい仕儀です。

担ぎ込まれてから翌日一杯は腹痛と発熱と腰痛で何があったのかボンヤリとしか覚えていません。翌日諏訪から駆けつけた家内がお医者様に伺ったところ病名は急性胃腸炎。疲労が蓄積していた所へ英国出張での食べ過ぎか卑しいつまみ食いがたたったんでしょう。心配いりませんが、この際しばらく病院に閉じ込めて痩せさせたらどうでしょうというご託宣だったそうです。

という訳で足掛け4日間の入院。最初の二日間は点滴以外は絶食.絶水。後の二日は三食とも重湯というかつて経験のない数日を過ごしました。もちろんNY出張はキャンセルです。実は私はかねがね入院というものに淡い憧れを感じておりました。静かな病室で好きな本を読み放題、若くて優しい看護婦さん、花束を抱えてやって来る見舞い客、やかましい仕事の電話からも売上げ数字からも完全解放。しかし痛むお腹を抱えて現実はこううまくは行きませんでした。随分長い文章になってしまいましたので、病院でのあれこれはまた機会を改めてご報告します。お陰様で22日からは完全復帰しております。多くの方々に多大のご心配とご迷惑をお掛けしました。心より御礼申し上げます。

2008年9月23日 17:10

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宮坂 直孝
諏訪市出身 諏訪市在住
真澄蔵元 宮坂醸造株式会社 代表取締役社長
申年、うお座、A型。
趣味は老舗巡り、バードウォッチング、諏訪湖でのカヌー遊び、たき火、読書。