酒のある和やかな食卓
butsuzo.jpg そもそも人間にとって幸福とは何なのでしょうか? 小さな造り酒屋が人々にもたらしうる幸福とはどんなものでしょうか? 近頃こんな疑問がしきりに心をよぎります。いつか答えに辿り着くことを念じつつ、ご縁のある方々と美酒談義を始めることにしました。
初回の対談のお相手は「七號」「山花」など多くの真澄製品の酒名を揮毫してくださった書家・吉澤大淳先生です。

宮坂: 本日はお忙しい中、ありがとうございます。「美酒幸福論」というテーマでお話を伺いにお邪魔しました。こちらのお宅は佇まいや眺望が素晴らしく、お酒が美味しくいただけそうですね。

吉澤: ようこそいらっしゃいました。この家は数寄屋造で、日本の様式美を味わえる作りにしました。ここからは諏訪湖が一望できて富士山も見えます。ただ、富士山よりも南アルプスよりも諏訪大社のご神体でもある守屋山が一番高く見える。うまくできています。

宮坂: 美術品も素晴らしいですね。

吉澤: ほんの30~40年前は、中国など東洋の古美術はあまり関心を持たれていませんでした。東京の古い家を新しく建て代える際に古美術品も多く出ました。ここにあるものの大半はそんな時代に手に入れたものです。

酒も書も本格派がいい

宮坂: 吉澤先生とは20年ほど前に「山花」のラベルの文字をお願いして以来のお付き合いになりますね。あのころは酒税法が改正されて一級酒とか二級酒という呼び名が変わり、弊社の仕事も見直そう、そういうプロジェクトを行っていたときでした。

吉澤: 女房の父が宮大工で、真澄さんにお世話になっていたというご縁もありました。あのときは社長と先代社長でいろいろ議論されていましたね。

宮坂: 昔の人は意外とモダンなもの、新しいものが好きなところがあって、私は日本的なものを大事にしたかったので、話し合いました。

吉澤: 私も、中村不折の書いた「真澄」の文字を大切にしたかった。本格的隷書で味わいがありますからね。

宮坂: 「山花」と「七號」もともに隷書ですね。

吉澤: 「真澄」の書にイメージを合わせようということで書きました。隷書が美しく整った姿を見せるのが漢碑で、これを参考にしました。

宮坂: 先生はこの製品を二年で改廃するんなら書かない。永く使うのであれば、ということで書いてくださった。それから15年以上経ちますが全然飽きが来ないですね。

吉澤: 見れば見るほどよくなるものが本物の書です。真澄の酒も飲めば飲むほどよくなるでしょう。ぱっと見て面白いな、と思うものもありますが、往々にしてそうしたものは飽きが来ます。

宮坂: 本物というと、会社に入ったばかりの頃に祖父に言われた言葉を思い出します。現在の酒造りの基礎を作ったのが祖父なのですが、その祖父といっしょに利き酒をしていたんです。たくさんのお酒を並べて、「一番いいと思う酒を選べ」と。選んだ理由を聞かれて「面白い」と言ったら、面白い酒はよくないというのです。そんなものはすぐにできる、一杯二杯はよくても三杯四杯で飽きてくると。目指さないといけないのは、宴会が終わったら徳利がごろごろと倒れているような酒。一杯一杯は面白くなくても、宴会が盛り上がって、気がつけばたくさんの徳利が転がっている、そんな酒を造らなくてはいけないんだとよく言われました。

吉澤: そういう酒が本物ということですね。ところで「七號」というのは七号酵母のことでしょう、真澄の蔵から出た。

宮坂: 日本でも最もよく使われているそうです。この酵母はおだやかな酒を造るには一番よかった。地味な酵母なんです。だからオーソドックスな酒には多く使われているようです。香りを出したいときには使われない。しかしそういった華やかな酒は少ないですから。

吉澤: そのことはもっと沢山の人に知ってもらった方がいい。貢献しているわけだから。

宮坂: そうかもしれませんね。実は同業者にもファンがいて、こちらの「山花」は九号酵母を使っているんですが、「うちは全部七号酵母を使っているのに、なぜ本家本元が七号を使わないんだ」なんて問い詰められることもあります。それもある意味うれしいことです。

 

日本はお米の国

吉澤: 床の間にある書は佐佐木信綱のものです。日本をよく表現していると思います。

神の国あきつしまやまと曙の
光の中に桜花咲く

神の国とは日本のこと。あきつしまはやまとの枕詞で、あきつというのはトンボのことです。トンボが沢山いる、豊作を意味します。曙は日本国の象徴で国旗、それに桜は国の花。美しい和歌です。

宮坂: トンボは害虫を食べますからね。

吉澤: そうです。こちらの掛け軸は私が書いた絵ですが、一番上が朝陽、真ん中は伊勢神宮の内宮で、下は古代米の稲穂です。内宮の御正宮には、神宮独特の建築様式「唯一神明造」による御正殿が建っています。弥生時代の穀物倉に起源を持ちます。備蓄米は神宮のような米倉を建ててそこに保存し、恵を与えてくださった神様に感謝する。神嘗祭は毎年、この一年の神恵に感謝を申し上げ、二千年の間、原点に立ち返る営みをしています。

宮坂: 宮中でも、一番大きな行事は新嘗祭ですね。

吉澤: 米は日本の原点であるということです。日本はお米の国で、その米から日本酒が生まれる。

宮坂: 古代は神さまに捧げるために酒を作っていました。神社と深く関係していたんですね。今でこそ、酒造りのメカニズムは解明されているけど、その昔は神さまが作ってくださっているという感覚だったと思います。
 

大切なものは何なのか

宮坂: 昨今の日本の経済状態は憂うべきものですが、一方で、私たちの生活を見直すいい機会なのかもしれません。

吉澤: 人間にとって何が大切なのか、ですね。私は35歳までメーカーのサラリーマンをしていましたが、忙しくて休日もないような時代でした。会社を辞めた当時は木曽谷に石を拾いに行ったりしてたんです。女房には怒られましたけどね。川原に行ってぷらぷらして。働き盛りに何してるの、と。でもね、楽しい。石を拾ったり、花や鳥を観察したり、猿を見たり。自然はすごいと思いました。

宮坂: 現代は物質的には恵まれすぎてしまっていて、そうした時間や精神的な豊かさが失われてしまっているのかもしれません。

吉澤: 現代人は、朝早くから遅くまで働いて。時間が自由になりません。私は35歳から10年間くらい至福の時を過ごしました。お金は入らないですけど。いうなれば「この世とともに生きていない」。東洋美術の研究、書画の創作に没頭しました。いい仕事をしたい、いいものを見たい、いいことを教わりたい、と。

宮坂: ひょっとするとヨーロッパの人の方が生活を大切にしているかもしれません。二年に一度フランスのボルドーで世界のワインの展示会がありまして、そこへ何軒かの酒蔵と一緒に日本酒をアピールに行くんです。何度か行っているうちに現地のフランス人のワイン作っているおじさんと友達になって、食事に連れて行ってもらった。街のレストランでメニューがコースで三つくらい。2000円ほどです。おじさん、メニューを見て延々と選んでいる。早く決めろというと待ってろと。シェフを呼んでみたり、ワインを選ぶときにソムリエに味見させてみたり、オーダーするのに30分くらいかかる。早くしてくれ、というと「あなたたちはこのために生きているんじゃないのか」と言われましたよ。そして、2000円の定食で延々と、夜中の12時くらいまで食べているんです。

今こそ、海外へ日本文化を

宮坂: 海外に行ってみると、今は日本酒が受けている。ただし、日本酒、寿司、などそれぞれの単品がいいのではなく、日本の食文化とか考え方とかしつらえとかを認めてもらっているようです。製造業の輸出が落ち込んでいますが、いよいよそういうものを輸出していく時代になるのかなと思います。

吉澤: 真澄さんには日本を代表して日本の酒をもっと広めてもらいたいですね。

宮坂: 実は弊社のお酒も輸出しているのですが、最近は量が落ちています。もともと量が少ないので大勢に影響はありませんが。ただ一方で、昨年は海外から沢山のお客さまが来ました。イギリスやノルウェーや香港などから。日本酒の勉強をしたい、給料も要らないから働かせてくれ、と。イギリスから来た青年はロンドンの名のあるレストランのソムリエで、当然ワインのエキスパートです。日本酒も学びたいということで来たわけですけども。

吉澤: そういうことも立派な日本文化の輸出ですね。

宮坂: フランス人も来るしドイツ人も来るけれど、我々は往々にしてヨーロッパの人に対して卑屈になったりしますよね。ワインに比べて日本酒は、なんて。けれど、海外からやってきた人は、私たちのことを、我々があこがれをもって仰ぎ見ているようなワインの有名シャトーのオーナーと同列に扱ってくれるんです。
 日本料理だって日本酒だって、類型はありませんよね。日本酒の起源ははっきりしていなくて、おそらく稲作とともに中国、朝鮮から伝わってきたのでしょうけれど、現在の日本酒はこの国の風土にあった、独自のものになっています。そういったものは海外で十分に通用しますね。

吉澤: 最近は工業製品の輸出が不調ですが、手塚治虫さんの漫画やアニメは、海外でも大変評価が高い。日本文化の輸出はうれしいですね。先日、手塚真さんとお話しする機会があって、何を海外に向けて発信したらいいかと聞いたら、「今がチャンス、日本のよき伝統にヒントがある」と。日本はこれから初めてその伝統と現代の問題を切実に煮詰めてみるべき状況となっていくのではないでしょうか。
 私は日本美術をよく知ることに、若き日より長きを費やしました。今日の風雲には、日本の伝統のすばらしさはきっと大きな示唆の源泉となってくれると思います。

真澄の酒はほのかな灯りで飲む

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宮坂: ありきたりですが、一生懸命仕事して、夜は家族でお酒をともにするということが幸せなのかも知れません。文明はどんどん進歩していきますが人間としての幸せはそういうところにはないような気がします。

吉澤: そうですね。外で飲んで憂さを晴らすのも大事かもしれないけれど本来の喜びとは違うような気がする。今も昔も、たぶん家でしょう。家に帰って家族と飲む。そういう時間をこそが幸せ、贅沢なんですよ。

宮坂: 肴も豪勢な伊勢えびやフォワグラではない。野菜とかわずかな山菜、魚で十分ですよね。それよりも家族や友達を集めて飲むのが楽しい。今年のお正月にうちの庭で焚き火をやって。そうしたら友達を集めたくなって、みんなで集まって、お酒を飲んだら一升瓶がたくさん空いてしまいました。

吉澤: 早く帰ってきてみんなで集まって料理を作ってね。ご馳走とは馳せて走ると書く。裏の畑やそこらを走り回って自分で作るのがご馳走なんです。

宮坂: そんな時間を持てるのは本当に贅沢ですね。

吉澤: お金は大事なんだけど、お金より精神的な豊かさの方が大事ではないですか。

宮坂: 金と物を求め始めるとキリがないです。

吉澤: 大事なのは充実した時間だと思いますよ。名誉とか金とか、生まれたときに決まっている感じがする。時間はみんな共通でどの人にも一日24時間で平等です。時間があればお金をかけずに信州の大自然を満喫できるんです。

宮坂: 精神的な豊かさ、心の豊かさですね。いけいけで発展しているとそういうことに気がつかない。ずっと右肩上がりはありえないのだから、足るを知ることも大切ですね。

吉澤: 最後になりましたが、お酒はほのかな灯りで飲むのが一番だと私は思います。谷崎の美学を持ち出すまでもなく、障子越しの淡い光や床の間の薄暗さのなかにこそ、日本の美や知恵が隠れているのです。今の日本人の生活環境、特に子どもたちが一日の大半を過ごす学校や家庭の勉強机の照明までむきだしの蛍光灯です。これは情緒の面で悪影響を与えているはずです。
 巷のお父さんは蛍光灯の輝く我が家ではなく、ほのかな灯りのバーやスナックに安らぎの場を見つけているのではないでしょうか。家庭円満にはほのかな灯りで真澄の酒を飲みましょう。できれば、蝋燭に和紙が灯りとしては最高ですね。

宮坂: そういうところで、わずかな肴でゆっくり飲むことが幸せなのかも知れませんね。

吉澤: いいお酒は明るいところで飲んだらもったいない。今度、真澄の酒をここの和室で飲みましょう。自然光や月の光の下、ほのかな明かりで飲むとお酒の味が一層引き立ちますよ。

宮坂: ぜひお邪魔したいです。本日はどうもありがとうございました。
 



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書家・東洋美術研究家
吉澤大淳
日展委嘱(日展特選2回受賞)
日本ペンクラブ会員
書を成瀬映山氏に師事。
東洋美術研究家としても知られ、主なる著書に「日本の美と心」、「千里萬感」、「玉笛譜」、「墨の芸術」ほか多数がある。

 

 


宮坂醸造株式会社 代表取締役社長
宮坂直孝
諏訪市出身。慶應義塾大学商学部卒。米国ワシントン州ゴンザガ大学にてMBA取得。 1983年、宮坂醸造株式会社入社。2007年4月、代表取締役社長に就任。
趣味は老舗巡り、バードウォッチング、諏訪湖でのカヌー遊び、たき火、読書。